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2007年10月27日

2007年10月27日 (土)

美文のあさはかさ

Souseki

言うまでもなく漱石は明治〜大正を生きた作家である。
「坊っちゃん」「三四郎」あたりが私は好き・・・と言っても
文学などを語りたいわけではない。
「坊っちゃん」と「三四郎」の間に書いたもので「草枕」がある。
「毒々しい、いやな奴」で埋まっている界を脱して非人情の世界に
遊ぼうとする画工の物語だ。

漱石はこの作品の言及を友人宛に書簡している。
「ただきれいにうつくしく暮らす、即ち詩人的にくらすという事は
生活の意義の何分一か知らぬがやはり極めて僅少な部分かと思う。
で『草枕』のような主人公ではいけない。あれもいいがやはり今の世界に
生存して自分のよい所を通そうとするにはどうしても
イブセン流(Henrik Ibsen ヘンリック・イブセン ノルウェーが
生んだ最大の劇作家 )に出なくてはいけない。」

作者自身『草枕』を「閑文字(かんもじ---無意味な文字・文章。
無益な言葉。)」と評している。
この時代「美文」と言うものが流行った。

漱石は談話「余が『草枕』」でこう語っている。
「私の『草枕』は、この世間普通にいう小説とは全く反対の意味で
書いたのである。唯だ一種の感じ--美くしい感じが読者の頭に
残りさえすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。
さればこそ、プロットも無ければ、事件の発展もない。(中略)
普通に云う小説、即ち人生の真相を味はせるものも結構ではあるが、
同時にまた、人生の苦を忘れて、慰藉(いしゃ・・・なぐさめ
いたわること。 )するという意味の小説も存在していいと思う。
私の『草枕』は、無論後者に属すべきものである。」
早く言えば、「現実逃避」である。
現代でもそう言う部分がある・・・と言うより、そういう人間が増殖し、
そういう方向に進んでいる気もする。
現実的すぎるのもなんだが・・・・。

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珈琲 古炉奈

Corona

「アキバで古炉奈を知らなきゃ、もぐりだ」とも言われる。
古炉奈(ころな)の歴史は古い。1966年からであるから、
もう40年以上になる。秋葉原も大きく、様変わりした。
電気街から一大ビジネス街になりつつある。
が、ここは変わらない。

古炉奈の外窓から見える、お客さんは、けっこうお歳の人が多い。
理由は珈琲の値が少々高い。600円である。一杯、一杯入れる
丁寧な入れ方。接客態度。どれをとっても一流である。
従業員もおぢさんとおばさんである。
およそ、大勢の人がイメージする秋葉原と言う街には、
似つかわない場である。
しかし、それは勝手なイメージなんだよね。なにせ古炉奈は、秋葉原の歴史
そのものなんだから。

入り口は看板下から入って、急な階段をのぼるとある。広い店内、
バロック音楽が流れ、インテリアは、古民芸家具で統一され、
照明はやや暗い。ネオン満載の街の中の別世界だ。
大人のスペースなのである。

炭焼珈琲庵 古炉奈
http://cafe-corona.jp/

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