« 2007年11月4日 | トップページ | 2007年11月6日 »

2007年11月5日

2007年11月 5日 (月)

かつて歌舞伎は浅草だった

Nakamuraza
中村座絵図

浅草猿若町(現台東区浅草6丁目辺り)は、かつて芝居小屋が並ぶ、
一大娯楽施設があった。「中村座」「市村座」「河原崎座」等など、
歌舞伎や人形芝居などをやる小屋が建ち並び、
芝居後、近くの吉原に遊びに行くのが「粋」とされたそうだ。
「猿若三座」と呼ばれた。今はその片鱗も無い。

江戸の始め、元々は葺屋町・堺町・木挽町(現日本橋、銀座辺り)に
あったそうだが、天保の火災でこちらに移した。
「猿若」と言う地名は歌舞伎芝居の始祖、猿若勘三郎からきている。
その後の代が、中村座によく出ていたことから中村勘三郎の名が
代々継がれる様になった。

猿若は幕府の管轄だったので、幕府の滅亡と共に芝居小屋も
ここから消え、八丁堀や新富町といった銀座の先に移っていった。
自前で経営していたのだろう。
経営は芳しく無く、そのうち次第に消えていった。
猿若町は大正時代辺りから、草履の鼻緒などを作る町に
変貌していき、歌舞伎座は、そんな中で残った芝居小屋であり、
結局は銀座に戻ったことになる。

ちなみに新宿の歌舞伎町は銀座の歌舞伎座が新宿に
移転すると言う話が一時あった。新宿の町は多いに喜び、
確定もしない内に歌舞伎町とその移転場所を早々と名付けたのだが、
話が流れてしまった。其の名を今も残してあるのが面白い。

自身のことになるが、親族会社がその辺り(元猿若町)に今もある。
代々、和風草履関係である。幾年か前、会社周りでよく
中村勘九郎(現18代中村勘三郎)さんが、うろうろしていたそうだ。
しばらくすると、隅田川沿いの土地に「中村座」を旗揚げした。
ここに建てた理由はそういうことによる。
本当は猿若に建てたかったのであろうが、
何せ今はビル、ビル、ビルである。
そんな空いた土地は無い。
であるから近場を選んだのだろう。

Kanban

今は看板だけが、ここにあったことを告げている。

資料:ビジュアル台東区史

| | トラックバック (0)

蘇州前世恋歌

Sosyu

蘇州夜曲
作詞:西條八十
作曲:服部良一
東宝映画「支那の夜」挿入歌
昭和十五年八月 (1940年)

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船歌 鳥の歌
水の蘇州の 花ちる春を
惜しむか 柳がすすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺

蘇州と言う場所は懐かしい。
懐かしいと言っても行ったことがあるわけではない。
たまに幾度も見る夢があり、夜の回廊で若い女性と話している若者が
わたしである・・・と言う場面だ。
どうやら明日戦場に赴くらしく別れを告げに来たのだ。
この町も破壊されるかもしれない。
何故か回りや外の景色まで見えるのである。水郷がめぐらされ、
石橋がかかり川辺には美しい柳の木が植えられている。
若者がどれほど、この地を、彼女を愛してやまぬか・・・
彼女の安否を思う彼の心が、わたしの胸にひしひしと迫ってくる。

そこは古い蘇州の風景ではないか?と思った。
子供の頃から中国の寺院などの回廊を
見るとなぜか胸がキュンとなっていた。蘇州と言う土地を
自分なりに調べもした。
確かに古い時代、戦さがあり若者も女も古い中国の衣装であった。
2人はその後、どうなったのか?知るよしもない。
ただ、わたしの夢のなかで、この場面を繰り返すのみである。
もしかしたら前世の記憶なのかもしれない。

歴史
蘇州(そしゅう中国名:スーチョウ)は上海の西50kmに
位置する古都で13〜14世紀頃に栄えた。別名を「水の都」とも
言われる風光明媚な土地で周辺には孔子廟や寒山寺など
多くの史跡がある。
隋代に蘇州の名が始まったが南朝最後の陳末の
民衆反乱(589年)で町が破壊されて郡の役所なども
他の町に移されており、本格的な再建は役所を蘇州に
戻した唐の太宗時代以後の事になる。
五代時期には呉越国の都となり宋の神宗時代に
府(首都に准じる都市)への昇格に伴って平江府、
元には平江路と呼ばれるようになった。
この間、金の南宋遠征軍が平江府を攻撃して再度町は
大規模な打撃を蒙った(1130年)が、南宋政府によって
再建されている。元末の張士誠も呉王を称して蘇州に都した。
明になると蘇州府が置かれて以後は現在の蘇州という名称が
固定化された。

| | トラックバック (0)

神田薮蕎麦

Kandayabu_2

神田薮蕎麦は緑に囲まれた美しい庭の中にあるのです。
この辺りは戦災を奇跡的に免れた地域で旧いお店が点在しており、
一種のタイムスリップ状態になる。
大体が大正からのお店で古くは連雀町と言っていたそうで、
今でも元連雀町などと言ったりする。
ちょっと、引いてしまった。敷居が高い感じがしてしまうのである。
すると、お店の前から着物姿の女方が「いらっしゃーい」と声をかけてくれる。
この声に安心する。
蕎麦屋ではこの人達を「花番(はなばん)」と呼ぶんだそうです。
響きの良い言葉ですね。
店の出入り口に数人いて、お店内と外の様子に目配りしています。
店内で注文を受け取りに来たりもします。
そそくさと対応する姿、たちふるまいはとりわけ気持ちがよい。

これが神田淡路町と言う町中・・・とりわけ、ビジネス街にある店とは
思えない。
注文は「せいろう」。「せいろ」ではなく、ここでは「せいろう」なのです。
すると語尾を長く伸ばす特徴のある言い方で「せいろう〜〜」と
注文が入る。会計場にいる女の人も厨房に「せいろう〜〜」と注文を入れる。
店内にこの声が響くのである。これだけでも一種独特感が味わえる。
今風の気取った感じはない。心地良いんですよ。

店内はテーブル席と座敷席があり場所がら、サラリーマンが多く、
酒を飲んでいる。しかしどうもわざとらしさを感じてしまう。
故作家池波正太郎さんが「昔、蕎麦屋ってもんは、午後も遅い時間、
ちょっと腹ごしらえ程度に入れていた。酒もちょっと入れてね」と
言っていたが、蕎麦屋ってもんは確かにそうである。
下町育ちのわたしもよく知っている。
が、みんながみんな酒を飲んでいる姿は反対に異常と
言う光景である。「蕎麦屋で酒を飲む」ってのが流行りなのであろう。
大体、昔だって真っ昼間から蕎麦屋で酒くらってるもんは
「穀潰し」 なんて言われたもんである。
「粋」なのか?「穀潰し」なのか判断していたもんだ。

量が少ないのが玉にきず。取りやすいように・・・と言うことですが、
なるほど、蕎麦はすぐ、くっ付いてしまうもんね。
いやいや、やはり、ものたりないですわ。
蕎麦はうっすらと緑色です。蕎麦の実をひくときに甘皮の部分まで
ひくとこうなる・・と聞きました。
男衆ならせいろうで2段。1段が600円だから×2で1200円。
最低こんだけ用意してください。

「旨い蕎麦屋」は東京近郊には、星の数ほどあります。
他にもわたしゃ贔屓の店があります。ここは店構えやサービス、
店の雰囲気が独特です。その独特さが好きですね。
そして「旨い蕎麦」があれば、良いのです。

東京都千代田区神田淡路町2-10 
JR御茶ノ水駅 徒歩3分 
地下鉄丸の内線淡路町駅 徒歩2分 
地下鉄銀座線神田駅 徒歩5分 
営業時間:11:30〜20:00(L.O.19:30) 
定休日:無休 (1月、8月を除く)
総席数:80席
駐車場:無
全面禁煙

| | トラックバック (0)

« 2007年11月4日 | トップページ | 2007年11月6日 »