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2007年11月6日

2007年11月 6日 (火)

まぼろしの南波照間島

Hateruma_2
波照間島ニシ浜ビーチ

日本最南端の波照間島の波照(はてる)というのは
地名どおり沖縄諸島がそこで涯(はて)てしまう
という意味であるようだ。その島は実在している。
ところがその島へゆくと、島の人は、自分たちの島は
南の最涯(さいはて)ではない、もう1つ南に島がある
という。
それが、まぼろしの南波照間島である。

波照間島のひとびとが空想的に想定したのは、
島というのはこれっきりであとはただ波のうねる
滄海(そうかい)のみ、というのでは心細すぎる
と思ったのが理由だろうか。

沖縄の神々は、砂漠の民の神が天から来るのとは
ちがい、海から来る。古い日本語でも、宗教的な
空のことをアマ(アメ)と言い、同時に海もアマと
いうように、海というのは神聖者が渡来してくる道
なのである。
神聖者が渡来するには、出発する島が要る。
南波照間島は、そういう理由で幻出してきたもので
あるかもしれない。

「街道をゆくー沖縄・先島への道」

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樋口一葉旧居跡の勘違い

Ichiyo

本郷菊坂下の「一葉旧居跡」は有名である。
しかし、こういう写真を「一葉旧居」、
また使った井戸だと撮っているものを雑誌などで
よく見かける。
正確にはこの路地に並ぶ旧家は一葉が住んだ家ではない。
大体左右に一軒づつあるので、さてどっちなの?
となる。それについてはどこも説明されない。
すでにない・・・と言うのが正解である。
で、あるから現地に行って看板を見れば、
「一葉旧居跡」となっている。
「跡」と言うことはすでにない・・・と言うことである。
路地中ではなく路地入り口辺りにあった2階建ての借家らしい。
大体この路地奥の木造家屋には今も人が住んでいる。
残っていれば国の保存指定をされ、大事に保管される
であろう。

Ichiyoido

この井戸を使っていた・・・と言うのは
そうであろうが、このポンプ式の井戸は大正~昭和初期のものでは
ないかと思う。一葉の時代だったら、たぶん釣瓶で水を
汲んでいたに違いない。
確かに使っていたろうが、ポンプ式井戸がそのままでは
ないのである。
ポンプを触って一葉を想っても恥ずかしながら
勘違いなのである。

この写真を撮ったときもおじいちゃん、おばあちゃんが
「これが一葉さんが住んでたんだねえ。でもどっちなんだろね」
と言っていた。
お年寄りを虚仮にしているのではない。
ここがややこしい場所だからである。
区はちゃんとした説明看板なりを置かなければ
みな、勘違いしてしまう。
一葉ファンが気の毒である。

Hi001

貧困の中で・・・と言われるが、幼少の頃は裕福で
あったそうだ。東大赤門前に約250坪もの土地を持つ、
家で暮らしていた。株買い士族の娘で幕府陥落後も
お父さんは政府に雇われている。貧困は父が政府を辞め、
事業に失敗してからである。
10数回も引っ越しをしている。
本郷、竜泉(三ノ輪の辺り)、黒門町(現湯島辺り)、
白山。本郷菊坂下が有名なのは、使用したであろう井戸が
残っているからだろうか。

世に言う名作郡は2年間で生まれた。
時の森鴎外が絶賛していたのである。
そのことから世に出た。
死ぬ前に作品が絶賛されはじめたが、それを見守りつつ、
死んでしまった。

天才女流作家樋口一葉は肺結核により
24歳という若さで死んでしまったのである。
遠い昔、100年以上前の明治の半ばのことであります。

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